小泉進次郎のルーツは横須賀の顔役「刺青の又」!



 昔は任侠の世界、つまりヤクザから代議士となる者が珍しくなかった。炭坑やダム、飯場、港湾作業への人夫出し、手配師などでカネをため込んだ連中が名誉を求めて国会に打って出た。

 小泉進次郎のルーツは小泉由兵衛にさかのぼる。今の神奈川県横須賀市で、とび職を生業とし、任侠道で、「小泉組」を名乗っていた。 

 その息子である「小泉組」の組長、小泉又次郎は、背中いっぱいに龍の刺青を彫り、「刺青の又さん」として横須賀ではちょっとした顔役だった。

 又次郎はその後、横須賀の海軍工廠などへの人夫出しで荒稼ぎをし、それを元手に代議士となり、商工大臣にまで上り詰めた。

 本妻との間に子はなく、妾の石川ハツとの間に子供が一人いた。小泉芳江である。芳江は鹿児島で漁師を生業にしていた鮫島純也を婿に迎え入れた。純也も義父の後釜となって代議士となり、のちに防衛庁長官に就任。

 純也と芳江の間に出来た子供は5人。長男が純一郎。長女、信子は生涯未婚を通し、議員宿舎で純一郎と同居していた。

 純一郎は、エスエス製薬のお嬢様、宮本佳代子と結婚し、子供を3人もうけた。
 
 純一郎の暴力(DV)が原因で離婚。長男の孝太郎と次男の進次郎は純一郎の妹の道子のもとで育てられた。 第三子の男子は佳代子が裁判の末に親権を得た。

 純一郎は、地元の高校を卒業後、2回大学受験に失敗したあと慶大に入る。2年留年し、3度目の留年が決まった直後の1967年4月に慶大の女子学生を強姦し、逮捕された。しかし精神病で都立松沢病院精神科に強制入院となる。

 このころ、父純也が防衛庁長官だったため表沙汰にならなかったが、地元では周知の事実。

 強姦事件の損害賠償にかかる民事裁判は2004年6月15日、東京地裁609号法廷で行われた。

 この後、純一郎は1967年4月から2カ月間、統合失調と解離性人格障害で松沢病院で療養した後、レイプ事件もあり、英国に渡った。

 ロンドン大学の一般聴講生となったが、英語が苦手で単位を取得できなかった。 そんな純一郎がやすやす慶大を卒業した。 当時の日本の私学はそんな程度だった。

 純一郎が代議士2年目の時に再度、婦女暴行事件を起したが示談で解決したそうだ。

 小泉純一郎の選挙対策委員長を努めたのが、広域暴力団「稲川会」の石井会長と懇意にしていた任侠筋の竹内清・元神奈川県議会議長だったという。
 
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