米兵のための慰安所が出来たわけを知っているか?

 これは共同通信への寄稿文である。記者が書いた記事ではない。

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 74年前の夏、敗戦で多くの日本人が茫然自失しているなか、東久邇内閣が手をつけたのは、占領軍将兵に女を提供する慰安所をつくることだった。

 敗戦からわずか3日後の8月18日、内務省警保局長が現在の知事にあたる全国の府県長官宛てに「外国軍駐屯地における慰安施設について」を打電。速やかに性的慰安施設、飲食施設、娯楽場を設けるよう指令した。 (以上)
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 戦争に負けるということは、こういうことだ。

 ネットには「率先して米軍に忖度?」「進駐軍に慰安所? 慰安婦がいるいないなんて議論する意味あるのか?」と、気楽なことを言う者がいる。

 ケチをつけるはさぞかし気分がよかろう。 だが、現実はそんな甘いものではない。

 日本は敗戦国だ。これに対して米国は戦勝国。

 血気盛んな若い米兵が大挙して「占領軍」として乗り込んできた。

 日本人もそうだったが「旅の恥は掻き捨て」と一時期、国内や海外の旅先で散々、「女を買った」。カネで「快楽」を求めた。

 それと同じで、占領地に足を踏み入れた兵隊たちは性に飢えていた。どこでもいいから性欲を発散したかった。

 ましてや、日本は敵地。それこそ「やりたい放題」だ。

 都会ばかりか、田舎の農道でも進駐軍が幼い子どこから大人まで「おんな」と見たら、見境なく押し倒し、馬乗りになって犯した。

 赤ん坊をおんぶした人妻でも関係なく、モンペを無理やり引きずり下ろし、快楽をむさぼった。

 警察がいる? 冗談でしょ。

 日本は敗戦国だ。戦勝国のすることには手出しが出来ない。日本の警官は米兵を取り締まるMPを呼びに行った。戻ってきた時は、存分に性欲を吐き出した米兵の姿はなかった。

 米兵4、5人が民家に押し入り、「娘を引き渡せ」と言った。必死に懇願したが聞き届けてくれるはずがなく、母親は身代わりに米兵に身を任せた。

 だから当時、若い女性は顔に墨を塗ってわざと、汚く見せたり、娘の頭を丸坊主にした親が多かった。

 街には「パンパン」と呼ばれた街娼、つまり売春婦があふれた。家族を養うために自分が犠牲になったのだ。

 同様のことは終戦を直前にした満州でも起きた。日ソ不可侵条約を無視して怒涛のごとく、数千両の戦車とともにソ連軍(現在のロシア)が押し寄せた。

 日本人から奪った腕時計を両腕いっぱいにはめたソ連兵が、逃げ惑う日本人女性めがけて次々、襲いかかった。地獄絵だ。

これが戦争だ。

これが敗戦国の姿だ。

常に、犠牲者は一番立場が弱い者である。

 私は物心がつくころ、こうした話を何人もの年寄りから何度も、何度も直に聞いた。だから戦争には絶対反対なのである。

 「慰安所を作ったバカ政府」と批判するのは簡単だ。

 だが、慰安所がなければ、小学生から人妻まで、どれだけの日本女性が米兵の餌食になったか分からない。

 梅毒や淋病などの性病が蔓延したかもしれない。

 それらを防ぐためにも、当時の政府は、やむにやまれず、決断したのではないか。

 闇夜に乗じて満州や朝鮮半島から引き上げる際、「テキに気づかれるからなんとかしろ!」と周りから言われて、鬼になって泣く赤子を絞め殺した母親と同じだ。

 慰安所は飲食などもろもろを提供する東京・浅草の吉原など待合の組合ほかの協力で誕生した。

 慰安所で働く女性は本人の納得づくで給与面などは特別待遇で遇した。

 悲劇の戦争の、もう一つの現実である。

 

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この記事へのコメント

哭きカラス
2019年08月24日 17:04
与三郎さん有り難う。
最近は、この様な記述が無くなった。
特に、第二次安倍政権になってからは殆ど見られ無い。
"戦争"は何から何まで『悲惨』の2文字に尽きる。
島の沖縄出身の老婆は「沖縄ではさぁ〜10才から初老までの女性もが"女狩り"さながら、米兵に捕まって、米軍のトラックの荷台に家畜の様に引き摺り上げて乗せられ、荷台で米兵に犯されて、行為が済んだらゴミの様に投げ棄てられたのさ〜。」と涙を流して語った。怒りが込み上げた。
戦争だけは、二度と再び起こさせない!と祈って止まないが… 世代が代わり、戦争の悲惨さを知らない、語らない大人ばかりになった。。と嘆くばかりだが。。
せめて教育現場で学ばせて欲しい!と切望して止まない。