戦車が抗議の学生や市民を次々、踏むつぶしていった!

▼戦車が抗議の学生や市民を次々、踏むつぶしていった!



 天安門事件の貴重な資料写真2000枚が見つかったとのニュースに関連して、悲惨な映像を思い出して西村昭彦さんが以下の感想を寄せた。

 私も観た。民主化を要求して中国の学生や市民が命がけで中国共産党の独裁に抗議した光景が忘れられない。

 民主化のうねりに一党独裁体制が飲み込まれるのを恐れ、軍隊を動員。抗議の市民たちに銃弾の雨を降らせて、無差別攻撃した。独裁国家の怖さをこのとき実感した。

***************************

西村昭彦
 中国の国内事情は日中戦争終結以来ほぼ闇に埋もれていてその実態が詳細に伝わってこなかった27年間だった。60年代には毛沢東語録を手にかざした少年たちによる[紅衛兵が組織され、中国国内が無規律に荒れ狂っていたのを覚えている。

 そして同じマルクス主義を実践する中国とソ連の両大国だったが、その手法をめぐって意見が対立し国境では紛争が生じていた。それは「中ソ論争」として両国の歴史に暗い影を落とした。

 天安門事件から早いもので30年が過ぎた。しかしその30年前の事件よりも更に17年前には、既に日中国交回復を果たしていたので、天安門事件の様子はテレビでかなり報道されていた。

 今でも忘れられないその時のニュースは、民主化のデモを行っていた学生や市民に向かって中国人民解放軍が水平に銃弾を連射し、戦車からも大砲をデモ隊に向けて発射した。

 死者は日本のNHKは死者はなかった。

 中国共産党発表では319人。

 イギリス公文書では1万人。

 アメリカ公文書では1万454人。

 天安門前には大型戦車が何台も一列に隊列を組み、白い旗を持った若者が戦車の前に手を拡げて立ち、戦車の進路を妨害していた命がけの姿が目に焼き付いている。

 そしてこのシーンはさすがに発表されなかったが、大量の戦車はデモ隊をキャタピラで次々に蹂躙していったと伝えていた。戦車での蹂躙は悲惨な戦争でも最も残酷な方法として知られている。

 ニュースで流されていた30年前のあの光景は今でも私の記憶の中に鮮明に残されている。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック