恐怖の映像!これが本当なら大変なことだと絶句!

▼恐怖の映像!これが本当なら大変なことだと絶句!



 あの時の「恐怖の映像」は、フクイチ(東電福島第一原発)人災事故の象徴として、私たちの脳裏に焼き付いている。

 1号機の爆発は2011年3月12日午後3時36分だ。

 3号機の爆発は2011年3月14日午前11時06分だ。

 放射能の危険にさらされながら、報道に携わった勇気あるジャーナリストたちがいた。

 これは、そこにいた者にしかわからない恐怖のレポートである。

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 13日の早朝、会社(日テレ)に呼び出された私は3号機の爆発にスタジオで立ち会った。その瞬間、報道局全体が「ざわーっ」とした雰囲気に包まれた。

 送られてくる映像を前に、私は足が震えるのを押さえながら、見たままを伝える以外にすべはなかった。


 3号機の建屋上端から炎が上がり、爆発とともに黒い大きな煙が500メートル以上に立ち上った。

 しばらくすると吹き飛ばされた大きな塊が、次々と落下しているのをライブ映像でも確認することができた。

 「1号機の爆発とは違う」という直感とともに、 「これは大変なことが起きた」との緊張が襲ってきた。

 原子力開発史上初めて捉えられた「原発爆発」映像は一体誰が撮ったのか。

 「原発爆発」映像を撮影したのは福島中央テレビ(FCT)だ。FCTが福島第一原発から南西17キロの山中にある中継塔にカメラを設置したのは2000年のことである。

 FCTは独自に第一原発から2.3キロ、第二原発から1.7キロの地点に1台ずつ増設した。これに伴い、山中にあるアナログカメラを撤去することを検討したが、当面バックアップとして残すことにした。

 その判断が空前絶後のスクープを生んだのである。

 2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9の「東北地方太平洋沖地震」が発生、原発を震度6強の地震が襲った。

 この地震で海岸線近くに設置されていたNHKと民放のデジタルカメラは電源が切れて機能を喪失した。

 たった1台生き残ったのが17キロ離れたアナログカメラだった。電源が内陸の送電網から引かれていたために生き残ったのである。

 福島だけでなく、東北から関東甲信越を含む地域は、とてつもない量の放射能に汚染された。

詳しくはここをクリック
https://bee-media.co.jp/archives/2801

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