私は「承知の上で「乞食」を使用!いわば「確信犯」だ!

▼私は「承知の上で「乞食」を使用!いわば「確信犯」だ!


 安倍晋三に食らいつき、タダメシのご相伴にあずかって喜んでいるスシローこと田崎史郎。こんな乞食評論家を100人集めても、噺家の立川談四楼にはかなわない。

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https://85280384.at.webry.info/201901/article_83.html

 これに対し、「乞食という表現は野宿者(ホームレス)差別にも該当する言辞なので良くないと思います」(山崎洋)との批判が舞い込んだ。

 余りにも愚かしいコメントなので、バカバカしくて放っておこうかと思ったが、知人が促すので私の考えを述べる。

 言葉は生き物だ。いつ、どこで、だれに向かって話すかによって、同じ言葉でも持つ意味が違ってくる。

 例えば「バカ」。親が「うちのバカ息子は」と人に言う時は謙遜して言っているのだ。わが息子をバカとは思っていない。親にとっては、「大事な息子」に変わりはない。

 ところが、前を歩いている赤の他人に、いきなり「バカ」と言ったら、「なにをこの野郎!」とたちまちケンカになる。

 「乞食」と言う言葉も同様だ。昔から引き継がれた立派な日本語だ。

 昔は歌舞伎役者をはじめ、芸に携わる者は「河原乞食」と言われたものだ。その伝で行くと、私なんぞも落語をやっているから「乞食」の一員だ。

 しかし、芸人にとって「河原乞食」と言われるのは名誉でもあった。すべてを投げ打って芸一筋に打ち込む人と言う意味だから、これほどの誉め言葉はない。

 段ボールにくるまって暮らす人を指さして、「乞食」呼ばわりすれば、侮辱である。尊厳を著しく傷付ける発言だ。

 これで分かると思うが、言葉は画一ではない。一つしか回答がないのではない。時と場所、使う相手によって同じ言葉でも中身が違ってくる。

 そうしたことも理解せずに、中途半端な受け売りで、知ったかぶりをして、生半可なことを言われては迷惑だ。

 私は「乞食」の持つ意味を承知の上で使っている。いわば「確信犯」だ。

 もうひとつ。新聞記事やNHKのニュースは商売上の「商品」だ。お客様に失礼があってはならないと「放送禁止用語」なるモノを作成して自己規制している。

 最近はちょっとしたことでもすぐケチをつける。そう言うのがウルサイので、企業内で事前に言葉の使用を取り決めているのだ。

 だが、ブログは新聞記事ではない。個人のメモ帳だ。思ったこと、感じたことを書いて何が悪い? いやなら、読まなくていいだけだ。

 私は「言葉狩り」には反対だ。冒頭で言った通り、言葉は生き物である。いつ、どこで、だれに向かって話すかによって、同じ言葉でも持つ意味が違ってくる。

 大事なことは「乞食」の意味を理解して使うか否かである。つまらない「右へ倣え式」の教条主義は、言葉を殺すことになる。

 私は、安倍晋三の提灯持ちをして銀座や赤坂の高級料理店でタダメシを食っているコメンティターや自称評論家を「乞食評論家」と書いた。

 どこが悪い? 何が問題だ? 私がそう思っているから書いただけだ。

 公共の電波を使って、偽りの情報をたれ流すスシローどもはれっきとした「乞食評論家」である。 以上

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